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zoom RSS 長崎原爆の日

<<   作成日時 : 2017/08/09 22:13   >>

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今日は長崎の原爆の日でした。
広島と同様、テレビで平和祈念式典の中継を見ました。
広島は地元だったので何度も平和公園や資料館に行きましたが、長崎は中学の修学旅行で行ったきりです。
長崎は鎖国していた時代にも唯一外国と接触があった場所で最近は出島が綺麗に復元されているのをテレビで見たし、前にブラタモリでも長崎特集をしていて歴史的にもとても興味深い場所だと思いました。
修学旅行で行ったのは平和公園と浦上天主堂とグラバー園とだったっけか。。。それと長崎市内ではないけどハウステンボスに行って本当に外国みたいだなあと思った。
(それから20年近く経って実際のオランダに行きましたが)
修学旅行の記憶が曖昧なので、長崎はもう一度行きたい場所です。

この時期になると戦争関連の特別番組をNHKでやっているので録画して見ています。
広島の「原爆死」のビッグデータに関する番組をやっていました。
どの場所でどれだけの人がどのようにして亡くなったかというのを調査したもの。
火傷で皮膚が剥がれていたという描写をよく聞きますが、それがどういう仕組みで起こるのかということも解析されていました。
原爆の光線が体を透過すると血液が沸騰して血管が破裂して皮膚が剥がれるとでもいうのでしょうか、普通の火傷とは違うそうです。
そして無傷だった人が数日後に急に吐血したりして苦しんで死んでしまう内部被曝の恐ろしさ。
70年以上経っても解明されていなかったことが次々に明らかになってくるんですね・・・

8月9日はソ連が日ソ中立条約を破って満州や樺太に侵攻してきた日でもあります。
満州開拓団で入植していた日本人が集団自決する中で、命を守るためにソ連兵を相手に「接待」(性の相手)をさせられていた女性たちの証言を扱った番組も見ました。
つらい体験を高齢になってやっと話した女性たち。
家族を守るため、生きて帰るためには仕方なかったとは話していましたが、これも弱いものが犠牲になる戦争の悲惨な一面です。
開拓団の村があった場所に遺族が日中友好の石碑を建てていたのに、それが尖閣問題などの反日運動の煽りで倒されていたのは悲しかった。

当時を知る人がどんどん少なくなっていく現在、戦後生まれの我々が過去を知ることは非常に重要だと思います。
世界の平和を願って。

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